戦前の歌謡 その342 ディック ミネ

タンゴ上海 ディック・ミネ 1940


テイチクの重役兼作曲家の古賀政男は、外国人のようなバタ臭い歌い方をしているという情報を聞いてダンスホールにミネの歌を聴き行った。また、歌手になることを勧めたのは淡谷のり子。ミネは、当時「デット・モンパレス・タンゴ・アンサンブル」の歌手兼ドラマーで活躍していたのである。
 1934(昭和9)年、テイチクから《ロマンチィック》を吹込み歌手としてデビューした。当時(1934年頃)は、本名の増永丈夫ではクラシックを独唱する藤山一郎(ビクター)、江口メロディーを歌う松平晃(コロムビア)など音楽学校出身が歌手の主流を占めていた。東海林太郎(ポリドール)も音楽学校出身ではないが、声楽コンクールで入賞している。そこに、異端のディック・ミネが登場した。すでに、ジャズシンガーでは、コロムビアの中野忠晴が売れていたが、ディック・ミネのジャズは本格的だった。
 ディック・ミネは逗子―鎌倉の素掘りのトンネルで発声練習を繰り返した。声楽はソプラノの浅野千鶴子についてレッスンした。彼は、バリトンの低音の響きと甘さを個性にし、ジャズの香りを出した。
 会社の反対を押し切って発売した《ダイナ》《黒い瞳》がヒットした。ディック・ミネがスターダムへ。英語の感覚で日本語をバタ臭くした。これがよかった。《ダイナ》では、南里文雄のトランペットがフィーチャーされている。そのトーンは絶品である。《ダイナ》で声価を得たディック・ミネは日本最高の男性ジャズシンガーであり、今後、彼を越えるジャズ歌手は出ないであろう。


雪の満州里  ディック・ミネ 1940
作詞:島田磬也  作曲:陸奥明 お亡くなりになった森繁久彌さんも歌っておられました。


クムパルシータ(ラ・クンパルシータ) ディック・ミネ 1935


セントルイス・ブルース   ディック・ミネ 1935





ディック・ミネ大全集
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ディック・ミネ

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