江戸前期、北海道はゴールドラッシュ。

「バテレンの世紀」をやっと読終えた。
終盤近くに北海道の記載が出てくる。
イエスズ会士アンジェエリスは1618年と1621年の2度に渡り、蝦夷を訪れていて、それぞれ報告記が現存している。
カルヴァーリョも1620年と1622年に同地へわたっていて、1回目のみ書簡が残されている。いずれも蝦夷地について書かれた最も早い実見談であり・・・とある。
当時はゴールドラッシュで、渡航者が数万にのぼっていたとも書かれている。

かって、北海道にゴールドラッシュがあったことは知っていたが、こんな昔にこんな大勢が北海道に来ていたとは知らなかった。
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ゴールドラッシュについては「戦国日本の津々浦々」というブログに記載があります。
松前氏による金山開発

  17世紀、金山開発が活発化する中の慶長十三年(1608)、徳川家康は佐渡奉行・大久保長安に命じて金山を調査する「鉱山師」を松前に派遣している。この時は幕府の蝦夷地への介入を恐れる松前藩主・松前慶広によって、金山開発は拒否された。

 しかし、元和二年(1616)に公広が跡を継ぐと、藩は知内川流域を中心に金山開発に着手し、元和六年(1620)には幕府に金百両を献上して金山の権利を得る。さらに移住規制を緩和して採掘者を募ったため、一攫千金を狙う人々が松前に押し寄せ、宣教師アンジェリスの報告によれば、その数は八万人にものぼったという。このゴールドラッシュともいえる和人の金山開発、および自然破壊が後のシャクシャインの蜂起につながったともいわれる。
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「時の旅人Yoshipyuta」による記載も詳しいが、一部を紹介する。

当時の藩主・松前公広は幕府に砂金を献上するとともに、砂金の採掘場を開き、各地から流入してきた大勢の砂金掘りから運上金(税金)を徴収します。
 
 こうして砂金場は徐々に広がり、松前藩に空前のゴールドラッシュが起きました。当時、金掘り人夫に変装して布教をおこなっていたポルトガル人のカルワーリュによれば、

《4年前から蝦夷に純良な金を豊産する諸鉱山が発見されたので、日本じゅうからそれを渇望する人が毎年夥(おびただ)しくかの大きな国へ渡るようになったことでありまして、その人数が昨年は5万人を数え、本年も3万人以上だろうといわれています》(『北方探検記』)

 当時の松前の人口は1万人程度なので、3万、5万ってすごい数。
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