「沈黙の春」と女の論理

高橋源一郎「ニッポンの小説3」のなかで、片山杜秀さんの文章を紹介している。<以下抜粋>
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当時50歳に近かった独身のレイチェルは親戚の5歳の子を引き取り養子として育てた。その時、カーソンは「安全な食べ物や安全な水を与えて、ちゃんと育てなくてはいけない」と考えた。「沈黙の春」はその延長線上で書かれた本だった。
この本は実は、ひとつの大きな特徴を持っている。それを「スヌーピー」から引用して見せている。

<チャーリーブラウンの親しい女友だちのルーシーが、「大地がどうした」とか「レイチェル・カーソンが!」ということを繰り返し言っていて、「きみはもうレイチェル・カーソンのことしか言わなくなったんだな。男の論理を代表させてもらえれば、きみは大げさなんじゃないのか」とチャーリーブラウンがいうと、ルーシーが「われわれ女性はわれわれのヒロインを必要としているのよ。それがレイチェル・カーソンなのよ!」と答える。子供を育てるという長いスパンでものを考えつつ、毎日食べるものについて心配する、といった発想をもつ女性のものの考え方を代表するような、現代に必要なヒロインとしてレイチェル・カーソンが現れたことを示していると思います>

さてこうやって「男の論理」に対抗するものとして、レイチェル・カーソンの「女の論理」が出現する。当然のことではあるが「公害」はもっぱら「男の論理」によって生み出された。

有吉佐和子が複合汚染の解明に日本中の科学者が総力を結集して50年はかかるでしょうと言われて、絶望的な気分に陥ったことに触れ、こう述懐する。

<子供を産むとか、育てるということを本気で考えていない男の社会では、50年というスパンがどういう意味を持っているのかを、リアルに考える想像力は必要とされない。だから男の社会はダメなの>だ。


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