悶え神

「煩悩」と言いますのは、宗教的には絶たなきゃならないものですが、水俣では肯定的に使います。年寄りたちが幼いものたちに情愛をかけることを、「わたしは、あの子に煩悩で、煩悩で」と申します。情愛の表現として、離れがたい、絶つことのできない情愛を肯定的に申します。「あの子たちに煩悩でならんこっで、あの世になかなか行けません」という風に言いますけ…
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