ケプロン日誌

北海道開拓のグランドデザインを担当したケプロンの日記で、おやっと思ったこと。。
1・北大の前身の農学校は札幌ではなく、ケプロンが居た当時は七飯町に予定されていた。「敷地はすでに一部整地して柵が立っている。しかし現在のところ、仕事がこのまま進展するかどうかは疑問である。」--ガルトネル事件の影響だろうか。
2・「ナウマン伝」では、ケプロンは地質調査のライマンと1日だけ現地を同行したとあるが、明治5・6・7年にそれぞれ同行している。ケプロンは68~70歳の時で、危険に満ちた踏査になんども苦労している。
3・そのライマンの(注)に「開拓史仮学校女学校の広瀬常に結婚を申込むが断られ、広瀬はその後森有礼と結婚」とある。常さんはかなりな美貌だったらしい。kep.PNG

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