ホーボー

1920年
海太郎は、当初留学したオベリン大学を、英語力の不足で授業について行いけず早々に退学。あとは3年あまりのちの帰国まで、中西部、東部の都市を放浪し、職業を転々としながら過した。米国では長距離列車を使って渡り歩く浮浪者たちを「ホーボー」と呼んだが、これは日本語の「ほうぼう」つまり”あちこち”に由来する言葉だという。海太郎も、ときにその一人だった。<中略>そして、おそらく最初はクリーヴランドの街で、谷譲次は風来坊の元日本人たち、つまりメリケンジャップたちと出会っている。黒川創 「国境 完全版」2013年 より。

ホーボーの子守歌
長谷川 海太郎は帰国後、林不忘、牧逸馬、谷譲次の3つのペンネームを使い分けて活躍した流行作家となる。
ホーボーと過ぎ去り日の歌
主な作品として「丹下左膳シリーズ」、「めりけんじゃっぷ」、「テキサス無宿」、「世界怪奇実話」など。
ホーボーの歌
35歳で喘息のため死亡。

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