戦前の日系2世3世の歌手6 森山久・ディーブ釜萢・タフト別府


入社から1年目に吹き込んだ「霧の十字路」(作詞;高橋鞠太郎)が、意識してブルースに挑んだ最初の楽曲になった。これをサンフランシスコ生まれの2世で、トランペット奏者だった森山久(森山良子の父)に歌わせたところ、コロムビアの若手社員の中で評判が良かった。
霧の十字路 森山久 昭和12年服部良一のブルース作曲第一弾
森山久は明治43年サンフランシスコ生れ。昭和9年に日本に来た。 。
南米の伊達男 森山 久昭和12年
当時の森山の回想によれば、昼間はコロムビア・レコードのスタジオでトランペッター、夜は赤坂の溜池にあった伝説のジャズ・ホール「フロリダ」で歌っていたらしい。
"捧げるは愛のみ"vo森山 久、南里文雄とNHKオールスターズ
春のジャズ祭り(二葉あき子・森山 久・岡本八重子)昭和10年

ディーブ釜萢(釜萢正)は明治44年ロサンゼルス生れ。昭和8年に来た。息子のかまやつひろしによると、生涯、日本語はほとんど話せなかったという。
SIOUX CITY SUE
日米間を運航する客船のバンドで演奏した後、東京府をベースにジャズシンガーとして活躍していた。淡谷のり子のバックバンドをやったり、中華民国の上海に赴き「上海バンスキング」のモデルとなった店で演奏する。
トーキョー・ラグ
後年、アメリカ兵向けの東京ローズの放送では森山久とディーブ釜萢のジャズの生演奏が流されていたらしい。
釜萢は日本人女性と結婚したが、それが縁で森山は釜萢の妻の妹と結婚し、「妻どうしが姉妹」の義兄弟の関係になる。
Tib Kamayatsu & Monsieur Kamayatsu, Long Road Home

タフト別府 昭和9年

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