従業員の仕事にたいするモチベーション

平川克美「株式会社の世界史-「病理」と「戦争」の500年」2020年より。多くのサラリーマンが実感していることが分りやすい言葉で書いてある。
経営者も、従業員も、もし個々の経済合理性だけで行動してゆけば、企業そのものを存続させてゆくためにどうしても必要な、モチベーションを維持することができない。金銭モチベーションは瞬間的には効果的だが、景気の後退局面になれば経営側はすぐに金銭モチベーションの供給を停止するだろう。
私が言いたいのはこういうことである。つまり、何かがうまれるということ、それが育つということが可能になるのは、そこに等価交換ではない別の原理が働いているからである。家族のような血縁共同体であればそれは親の子に対する無償の愛ということになるであろう。会社の場合だって同じだ。経営者や従業員による、会社に対する無償の贈与がなければ、会社もまた育つことはない。
多くの従業員が継続して会社で働くこと、その結果生れる仕事に対するモチベーションを担保するものに対して名前をつけるのは難しいが、あえて言えばそれは共同体への信頼といったものであると言えるのではないだろうか。そうした信頼の上にしか、共同体の倫理というものが生れないこともまた確かである。
経営者も、労働者も、ただ自らの仕事に情熱を注ぐということで、自分では予期していなかった倫理創造を結果として行うことになる。そして、同時にその結果がまた、共同体のエートス(=倫理)を強固にする。それは企業ブランドといったものとは別のものである。ここで言うエートスとは、もっと根源的な組織体の幻想の統合軸のことである。共同体のエートスは、世間一般が暗黙の了解として共有している倫理とは異なっている。企業には善悪の価値観という倫理ではなく、どれだけ強くその共同体と結びついているかというロイヤリティの価値観と言うべきものがある。それは、あえて曖昧な言葉を使えば(曖昧な言葉でしか言えないのだが)、自分が属している共同体に対する愛とか誇りというものだろう。

2000年代、グローバリズムが日本を席巻してゆく中で、雪印乳業、不二家、三菱自動車工業といった会社が、次々と不祥事を起し、世間の信用をうしなった理由は、ブランドイメージが落ちて経営不振に陥ったからではないだろう。それ以前に、経営者たちが会社を育てていくという「親の情熱」を失って、短期の利益確保といったような等価交換のスキームに陥り、それを肌で感じた「現場」のモチベーションが落込み、現場の人間もまたその会社で働くことの誇りを失った結果、会社の方針と争うよりは、波風を立てずに時間を稼ぐといった締めに近い精神になっていたのではないだろうか。

本書では、単に教科書的な知識としての株式会社ではなく、それがまさに生まれ出る瞬間の時代というものを生々しく浮かび上がらせつつ、その「力」と「病理」を描き出す。
また近代を牽引してきた株式会社が、これから先も経済発展の原動力として中心的な役割を果たしていくことができるのか、株式会社に変わりうる存在はありうるのか。この問いにも考察を加える。
シリコンバレーでも活躍した元ベンチャー起業家だからこそ書ける、資本主義のエンジンであり、国家と骨がらみな関係性を持つ「株式会社」の500年史。

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