戦前、学校をつくらせなかった

「水俣から」の色川大吉さんの章から---
労働者には、だいたい小学校卒業の連中を安い工員として雇う。中学校はつくらせない。戦前、水俣には中学校はありませんでした。何故かというと中学校を出ると生意気になって批判するようになるから困るんで、そういうのはよそに行ってくれということで水俣には小学校しかなかった。だから石牟礼さんも中学校、当時の高等女学校は出てないんです。水俣実務学校に行っていた。そこでみんな徳富家のように名家は子弟を熊本へ送込む。-------------チッソという会社が戦前から水俣にいかに戦略的に支配力を伸していったか、この本を読むまで知らなかった。
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人びとはいかにして水俣病の実相を明らかにしていったのか。近代化の果て、分断された地域社会の中で、むき出しにされた病苦と疎外に向きあい、寄り添い、抗いつづけた者たち。発病の記憶、医学的な解明、共同体と差別の歴史、企業や政府への闘い、魂の深い日常―当事者一人ひとりの声を通して、水俣のさまざまな姿が過去から浮かび上がる。苦闘の中から生まれた未来への証言。

目次
まなざしだけでも患者さんに(石牟礼道子)
私たち一家を襲った恐ろしい公害病(浜元二徳)
亡き人びとの声を伝えたい(吉永理巳子)
水俣病は人類の宝(原田正純)
世界の公害、日本の水俣病(宇井純)
私の水俣映画遍歴三七年(土本典昭)
水俣病と地域社会(丸山定巳)
水俣病事件は解明されたのか(富樫貞夫)
「水俣病を告発する会」の日々(松岡洋之助)
水俣の分断と重層する共同体(色川大吉)
形見の声(石牟礼道子)

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