稲には霊が宿っている

古代人にとって稲はもともと作物なのではなく、けっして農業生産の単位などではなかった。稲は本来的には(それ固有の目的=究極)を秘めており、精霊的な真実を持つ存在なのだった(それが、「稲には霊が宿っている」という信仰の基盤である)。農耕のにいそしむ人間は、このことを、奥深くで、必ず意識している。つまり稲は本来的には(霊)的真実を持つ存在であり、自分たちともある種の深い連続性を秘めているのに、農作業の中では(有用な作物)として補足されている。それ固有の目的=究極から逸らされ、その自然的生命体としてのありようを否定する仕方で引出されて、まるで鋤や鍬のような道具が位置する(面)と同じような面のうえにすえられている、と。
そいう奥深い意識がなかったとすれば、稲の初物を捧げる祭りは生れなかっただろう。
湯浅博雄「贈与の系譜学」2020年より。
このように考えて、著者は贈与の発生を説明していく。

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